☮ まるで婚約会見のようだったが、「これからはオープンな交際を」と言うだけで、具体的な話はなく終わった。 自殺未遂の現場は、中森明菜さんのお金で建てた近藤真彦さんの自宅でした。 明菜の付き人を1年つとめた後、暴露する側に転じた木村恵子氏の「中森明菜 哀しい性」(講談社)によると、明菜はマッチの帰宅を待つ際、早く会いたいがために、マンションのエントランスでうろうろしていたとか重ーいエピソードが書かれています。
17🤟 一時は「お母さん」とまで呼んで慕っていた付き人と対立して、 「騙され裏切られることには慣れっこの私も、あんなタイプの人は初めてです」(「マルコポーロ」95年1月号) と罵倒するようになったのをはじめ、事務所との確執、写真集出版やマンション使用をめぐるトラブルなど、あちこちでもめまくり、自殺未遂以前から不調だった心身の状態もますます悪化。
1☏ これで中森さんは謝罪会見の本当の意味を知ったそうなのですが、中森さんからしてみると自殺未遂をして近藤さんに迷惑をかけてしまったこともあって、近藤さんからの一方的な破局宣言も否定することはできなかったのかもしれません。 「その後の5カ月間、明菜はリハビリ生活を送る一方、同時期に起こった事務所独立騒動の影響で復帰は白紙になるなど足場が不安定な状況でした。
2👉 大物カップルの交際ですから、芸能界は当然ざわつきますが、公けに報道されなかったのは、ジャニーズ事務所の圧力があったからでしょうか? アイドル同士の恋愛はご法度だった時代なので、ジャニーズ事務所が動いていたとしてもおかしくないと思います。 当時は「ザ・ベストテン」(TBS系)などで毎週、大々的に芸能人の順位づけがされるほど、今よりずっと個々のぶつかりあいが激しかった。
1👍 そして、起きたのが明菜の自殺未遂だった。 再び表舞台に戻る時、彼女はどんな男に支えられているのだろうか。