🙂 なぜなら、証明する以前に、すでにデカルトの頭ないし心に、完全なるものが存在しているという観念があるからである。 また無意識(フロイトとか)の発見の後の現代思想ではそれ以前の哲学は意識中心主義的であると退けられたりもしていますが、それでもなおその重要性は揺らぐものではないと思います。 物理学を含む自然科学の基礎となる、確かなものはなんでしょうか? 感覚や直観は、時として真実を捉えない。
18😃 そして次の日の夜には現在Cで人生を生きる夢を見て、次の日には現在Dで生きる夢を見るのだ。 07 英語の勉強方法として一番良いのは、実際に使うことだ。
💢 のちの合理主義者であるスピノザやマルブランシュ、ライプニッツは、それぞれが二元論の独自の哲学体系を展開してゆきます。 なかには哲学と聞くと、頭のいい人たちがあれこれ観念をいじくり回して、好き勝手に言っているというようなイメージをもっているひともいるかもしれない。 なお初版は、によってとされることを恐れて、偽名で発行された。
2⌚ 「真らしさ」は容易に見つかるけど「真理」は少しずつしか見つからない。 このように簡単な推論で説明されると、実にあっけない気がする。
🎇 でも、こんな突拍子のない考えですら、論理的に否定することは不可能なんですよね。 自分は不完全な存在であるが、完全無欠というものの観念は持っている。 (中略) 第三の格率は、運命よりむしろ自分に打ち克つように、世界の秩序よりも自分の欲望を変えるように、つねに努めることだった。
17👀 デカルトの代名詞は「われ思う、ゆえにわれあり」(コギト・エルゴ・スム)。 つまり、 一人の良識ある人を前には、いかなる数の人の意見もそれに劣ってしまうということでした。
19😝 そうして 残るところは、その観念が、わたしよりも真に完全なある本性によってわたしのなかに置かれた、ということだった。 わたしは感覚的対象たる物体について真なる考えをもつこともあり、偽なる考えをもつこともあるが、前者は私の精神に由来し、後者は無に由来する。 全てを疑って疑いつくすこと。
16☏ この方法は様々な課題に適応できそうだ。 確かに学ぶことは大切だが、必ずしも学問が全てではない。 しかし、わたしが間違っていることもありうる。