😍 以上に述べた私のフランクル解釈は、現代の「人生の意味の哲学philosophy of meaning of life」に興味深い寄与をなすと考えられる。 このように見てくると、『夜と霧』の「コペルニクス的転回」の箇所は、そもそもテキストが説明的に書かれていないぶん、様々な解釈や思想的展開を許容する性質を持っていると言える。 43 ただし、諸富は、2013年の『フランクル 夜と霧』で、「コペルニクス的転回」を解説するにあたって、自身の「覚醒体験」を叙述している。
😚 この本は、その後もフランクルによって繰り返し改訂されている。 哲学では、こういう「何でもありの概念」が生まれると必ず「イデオロギー」を呼ぶという批判が湧きます。
18📞 しかし、ロックにおいても「素朴実在論」という問題が発生します。 「人間は人生に応えantwortenなければならないし、人生に応答責任を果たさver-antwortenなければならない。 さらに次のパラグラフで、この問いを問われている者、応答責任を負っている者とはいったいどのような者なのかについてクリアーな答えが書かれているのでそれを私訳してみたい。
☕ とにかく具体的な運命が人間にひとつの苦しみを課すかぎり、人間はその苦しみの中にすらひとつの責務を、すなわちひとつの完全に一回的な責務を、見なければならないだろう。 子どもが中心であり、この中心のまわりに諸々のいとなみが組織される。
2⌛ この学習指導要領の姿勢が、果たしてデューイ理論を基礎とする戦後教育改革に対して加えられた「這い回る経験主義」という批判を乗り越える可能性を持つのかどうか、学習指導要領自身は何も述べていない。 以上を総合するに、当該のパラグラフの「コペルニクス的転回」の議論は、一直線に、この「応答責任性」という結論へと突き進むものであると言うことができる。 そこで、プトレマイオスの宇宙と同様に、周転円を導入する必要がありました。
11❤️ しかしながら、人生が私にたえず問いかけてくるその問いに対して、応答責任を果たしていくということが具体的に何を意味するのかについては、はっきりとしたことは分からないままである。 主著「純粋理性批判」で使っています。 そしてそのようにして問いを問われた者の上へと、人生は毎日毎時、問いを立てかけてくるのである。
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